市民権を得すぎてデカくなった奴らの争い
まえがき
どちらもかつては日陰者だった時代がある。フェミニストは男尊女卑の時代に就職差別などを受け、オタクは犯罪者予備軍と呼ばれ肩身の狭い思いをした事があるだろう。
時代が進み、フェミニストは国際化の恩恵によってジェンダー平等が認められるようになり、オタクもクールジャパンの中で日本文化として認められているうちにそのスタイルが肯定されつつある。
そうして両者は大きくなっていくうちにある問題に衝突したのである。「性的搾取とフィクション」という問題だ。今回この事を書こうと思ったのは例の日経新聞の広告の事件。
内容を知らない人にざっくり説明すると、日経新聞の広告にお胸がデカい「2次元」の女子高生の漫画の広告が掲載されており、それに対してフェミニスト側が「これはアカン!」ってなった。そしたらこの読者サイドから「これはそういうエッチな漫画ではないし、性的搾取と関係ない」として今も議論が続いている。
おそらく今回の問題を一番論理的に語れるのはフェミニストかつオタクの御方やけれどもそんな人は居るのだろうか……いや、居ないからここまで争っているのかという感じがある。
何が問題なの?
フェミニストがこの広告を問題としているのは「日経新聞という割と多くの人が読む新聞、それも大衆紙ではなく割と教養を必要とする専門紙に明らかに『オタク的』である『2次元』の巨乳の女子高生を広告にするのはいかがなものか」という事である。
皆様、日経新聞は読んだことがあるだろうか。ここでは著作権法に抵触したくないので載せることは控えさせてもらう。説明をすると日経新聞は読者層が投資家や事業主、経済界に興味がある人を想定しているため彼らに合わせて広告が置かれている。
そのため特定の資産への投資を促したり、大学での経済学の講演、会議や業界の授賞式、彼らの所得に合わせた高級志向の製品…などが広告になっている事が多い。つまり今回の漫画の広告は異例なのだ。もしかすればフェミニストが台頭する前から日経新聞がオタク向けの広告をしていれば問題は起こらなかったのかもしれない。
例えば現在のオタク的な広告を代表として、ウマ娘の広告が挙げられる。割とテレビCMでも見る上に、東京ドームのバックスクリーンという誰もが目にする位置の直ぐ左隣に設置していたりと結構すごいことをしている。
しかしながら日経新聞というスペースは少し特殊であり、もちろんこれが問題になったのは日経新聞の読者にフェミニストが居たからであろう。ちなみに自分はオタク側の日経新聞の読者であるがこれを見た時に普通に驚いた。「日経マジで!?これはえちちですなぁ…」って思った。
まあその「えちち」がね…性的搾取と繋がるんですよね。
オタクサイドからの弁明
よく言われるのは「絵じゃん」なんすけど、流石にそれは頭が悪すぎるからやめておきましょう……。絵じゃんで済むならコスプレイヤーに欲情してる奴はなんやねんというお話になるので。
実際に今回の事件だけを見ると多分オタクサイドは負けると思います。残念ながら公共の場所に個人の趣味嗜好、更に性癖にまで関係してくるものを置くというのはなかなかチャレンジがいる訳なんですよ。
よりにもよって政治と隣合わせである経済の専門誌である日経にこれを載せてしまうというのは先程話したウマ娘とかと訳が違うのよ……。
実を言いますと自分のリサーチ不足なんですが、結構オタクの残念なところはなぜ日経新聞にこれを載せても問題がないかという点を説明出来ず、「この広告を取り下げれば表現の自由に反してしまう!」と言ってるんですよね。
憲法に詳しい人はお分かりだと思うんですが、別に予め何かしらの国家直属の期間による検閲が禁止されているだけで、発行された後に民間の団体が発禁処分にするのは別に違憲ではないのです。(法学は専門外なのでもし間違ったらこの段落は消すかもしれせん。)
ただ私もオタクなのでこれだけは言わせてもらうとこの日経新聞の広告を取り下げられたとしても、ここから先のオタク的な著作物に対して全てを禁止できる訳では無いとは思います。
あくまで今回問題となっているのは「日経新聞におけるオタク的広告」なんです。
双方とも論点を見失ってないか
議論がエスカレートしていくうちにオタクサイドはフェミニストに「フィクションと現実の区別がつかないBBA」とかフェミニストはオタクに「そんな単純な事が分からないクサい童貞」とか人格攻撃始めてる奴がいるんですよね。残念ながら双方にもいるんです。まあここまで来ると人権意識が求められるフェミニストではなくただのオタクを馬鹿にしたい人で、ロジックであるべきで良識を持つべきオタクではなく差別主義者なんですけどね。
とはいえ今回何がややこしいかと言うとフェミニスト側は「性的搾取」を掲げたんですよね。これが難しい。何が難しいかと言うとこの概念が。
今回性的に搾取されているのはこの絵の子であるはずなのだが、おそらくあるフェミニストの中で連想が働いて「現実にいる胸が大きなの女性」も搾取の対象となっているとの主張だそうです。
確かにこの絵を見ることで嫌な思いをする女性は0ではないのだ。この2次元女性に向けられる好奇の目は、同様にこの現実に存在する女性に向けられている事を忘れては行けない。もちろん「3次元の女性にはそんな事しないですよ」というオタクもいる。しかしながら彼女らは誰にそれをやられたかを区別できない。だから「男性に好奇の目を向けられた」と思うのだ。
しかしフェミニストが忘れてはならないのはその好奇の目を向けていた男性は果たしてオタクの男性なのですか?という疑問だ。好奇の目を向けたのは男性であるのは変わりは無いのだが男性という属性が同じなだけで、その今回掲載された作品のファンは単純に「この作品が掲載されて嬉しい!」と思ってる矢先でこのような非難をされてはびっくりするだろう。それに他にもオタク的広告はあり溢れているのだからこれだけが糾弾されるのも少し違う。
ただもう1つ忘れては行けないのは日経新聞は公的機関ではないのだ。つまり金を払ってこの広告を出した。そして日経新聞側も今回の広告に謝罪していないということはこの広告は適切なプロセスで作られたということなのだ。とはいえ日経新聞の読者層とはマッチしていないからこそこのような悲劇が起こったのだろう。
まとめと解決策
個人的にはこの炎上した一件、誰が悪いかを強いて言うならば、オタクでもなくフェミニストでもなく、読者層を想定せずこのような広告を掲載した日経新聞編集部なのではないだろうか。例えるならばドレスコードを着て入るべきレストランにジーパンで来ちゃった、そんな感じがしますね。
そしてこのオタクとフェミニストが同じTwitterというプラットフォームが産んだ悲劇。なぜ世界に国境線があるのか。それは言語、人種、文化などの個人が持つ性質を平均化させできるだけ集団内での争いを最小限に抑えた集団が国家として存在し、国境線は他の集団との争いを避けるために作った境界線なのだ。
本来ならば彼らは分住すべきなのだが同じ所にいるとこのようになってしまう。
やっぱりこのSNSで生きるには「お互いの背景を何となく察する力」が必要なのだと強く感じた。これがフェミニストとオタクが1人でも多く産まれてきて来る事がTwitterが地獄と化さない第一歩なのではないだろうか。
それまではお互い同じプラットフォームにいても住み分けをすべきだと強く感じた。
最後に文体がまあまあぐちゃぐちゃなのにここまで読んでくれた人は本当にありがとう。