なんで今のインターネットは息苦しいのか

だいたい息苦しくないころのインターネットっていつ頃なんや?って言うとインターネット内の世代間によって違ってくることは当たり前なのでここでは自分の周りにおいて説明しようかなと

 

やっぱり周りの人がネット使い始めると一気に息苦しくなった気がする。だいたい2010年代後半くらい

 

多分前からだったと思うがネットに現実が混ざる事が良くなかったんだと感じる

 

ニコニコとか2ちゃんとか見ても昔は「無職だけどなんか質問ある?」とかやったら「一日なにしとるんや?」ってちゃんと質問したりするし中には「某も無職wwwwwwwwww」とかいう便乗もあった

 

無職というのは嘘なのかもしれないし本当なのかもしれない。けれどもみなそれを楽しんだ

 

ああ…戻りてぇよ(幼児退行)

 

けれども今はしょーもないマウントの取り合いになっていてかなり嫌になる。まだ「底辺乙」とかで一蹴しとけばいいもののなんで自分のステータス言って更にそこからマウント合戦に。

 

自分の現実の幸福をネットで競って何になるのかただこっちが不幸になるだけ

 

まあ5ちゃんやなんjのマウントは嘘を楽しむ感覚があるのでまあこれでも十分に楽しめる。ここまではええとしましょう

 

ただTwitterInstagram…お前ら…(隠せぬ怒り)

 

Instagramとかは写真を投稿するという性質から現実を映すことになってるのは仕方ない。

 

ただ基本的に投稿やストーリーズに複数人写っていることが多いのでそっから「ぼっちは罪、可哀想」といった風潮に派生するのが嫌すぎる

 

まだこいつは最初からこういった感じやし基本的に目に入るのは知り合い連中か好きな有名人とかスポーツ選手やからええんよ

 

問題はTwitterや…お前裏切りモンだよ…お前そう言う河原者のような陰キャに優しくなかったんかよ

 

まあ自分が始めた頃くらいから特に芸もないやつが集団になり始めて他のユーザーに威張り散らすようになった

 

団体名は伏せておくしこいつらの話はすると大変長くなるからやめておく

 

こう言ったやつがいいね(当時はふぁぼ)やリツイートの数の多さを正義にするような風潮を作った事で今までインターネットでしか生きていけないような人間を余計に息苦しくした気がする

 

これがインターネット上では本来不要だった承認欲求を産んだのだと強く思うことがある

 

ネット上にもコミュニティが出来るのは仕方ない。ただ昔はそれが匿名だったから誰が誰なのかはコテハンじゃないと分からなかった(コテハンの意味はオタッキーなお父さんお母さんに聞いてみよう)

 

でもTwitterは半分匿名なのでコミュニティ内での有名人というものが必ず生まれてしまう。

 

そしてそのコミュニティ内で序列ができ上がる。もう地獄だ。この地点で対等の関係ではなくなってしまうし、こうなってしまうとそのコミュニティ内で上になろうとする。

 

結果として現実でもインターネットでも何も持たないものがみじめになる。

 

念のため誤解の無いように説明すると、コミュニティ内の有名人とはインフルエンサーの事ではなく現実に出れば一般人になってしまう人のこと。

 

本来は1人で周りの繋がりを持たないでいれば良かったのに周りの人間がこうするからこうしなければという錯覚に陥る。

 

これでは自分を傷つけることになると思ってもうTwitterは程々にしている。趣味垢なんて二度と作らん。かくして趣味はほぼ一人遊びに。

 

これじゃあぼっちの社会不適合者(半分真実)みたいなので一応まとめると、別に人付き合いが嫌いな訳ではなく「インターネットで人付き合いをしている奴がそれをしてない人の事を劣っているとみなす風潮」を辞めなさいってのが今回の内容でした。

 

以上!!!!